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所長のひと言(25)「映画『エヴェレスト 神々の山嶺』を観て思ったこと」

山岳センター隣の大町公園の桜が咲き始めました。ずいぶん遅いなと思うかもしれませんが、これでも例年よりかなり早い開花。今週末が見頃になりそうです。

エヴェレスト 神々の山嶺」という映画が公開されています。原作を読んだのは出版された1997年。20年近く経って映画を見ると感慨深いものがありました。

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冬期エヴェレスト南西壁無酸素単独登頂に執念を燃やすクライマーの物語です。主人公にはモデルがいます。1980年アルプス3大北壁の1つグランド・ジョラス北壁で亡くなった森田勝さんです。1967年2月、谷川岳滝沢第3スラブの冬期初登攀、1973年、第2次RCCのエヴェレスト隊で南西壁に挑みますが失敗。このとき同じ隊の加藤保男さんがノーマルルートから秋期初登頂。

1976年日本山岳協会のK2登山隊に参加しますが、第2次アタック隊に回されたことに反発して一人下山。1979年2月、単独グランド・ジョラス北壁に挑みますが、スカイフックが外れて墜落。左足を骨折し一晩宙吊りになるのですが驚異的な体力と精神力で自力脱出、更に一晩のビバークの後ヘリで救出されました。1980年2月、再びグランド・ジョラス北壁に挑みますが墜落して亡くなってしまいます。

1956年、日本人初の8,000m峰となるマナスル(8,163m)に登頂したことで登山ブームがわき起こり全国各地に多くの山岳会が生まれました。1960年代から80年代にかけて国内の多くの山や岩場で新規のルート開拓が行われました。更に海外でも日本人の先鋭的なクライマーによる登山史に残る登攀も行われました。森田さんはその代表的な一人です。事故も起きました。自然破壊も行われました。より困難なルートや条件で頂上に立つことに重きが置かれました。赤い炎が燃えさかっていたような時代でした。

今では登山の環境も雰囲気も大きく変わりました。山岳センターが教えているのは安全に楽しむ山登りです。今の時代の登山はずいぶんとクールでスマートになっているなと思います。どちらが良いかということではありません。時代が変われば山登りの方法も考え方も変わります。しかし山は変わっていません。山は美しさ、素晴らしさと同時に厳しさも持っています。その厳しさをやり過ごす知恵、耐える力はいつの時代も変わりません。

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