5月16日から27日までチベットに行ってきた。目的は私が所属する長野県山岳協会が来年春に予定している登山の下見である。目標の山の麓まで行くことができて、頂上付近こそ雲がかかって見えなかったが、BCとして使えそうな場所をみつけ、登山ルートの取り付きも大方の見当は立った。しかしその山に登るには別の問題があることがわかって現時点ではペンディングとなっている。下見の結果としては予想外のショッキングな内容だがその問題は少し置いて、今回は初めて行ったチベットの印象を書いてみたいと思う。
(成田空港にて。左が筆者・杉田。)
成田から北京。中国登山協会の李さんからチベットに入る許可証を受け取って翌日の飛行機でチベット自治区の玄関ラサに直行、のはずが何故か四川省の成都経由。それでも無事にラサ空港到着。
成田から北京。中国登山協会の李さんからチベットに入る許可証を受け取って翌日の飛行機でチベット自治区の玄関ラサに直行、のはずが何故か四川省の成都経由。それでも無事にラサ空港到着。
空港はチベット一の大河ヤルツァンポーの河原にあって周囲は山に囲まれている。驚いたのは周りの山にまったく緑がないこと。見渡す山々はすべて褐色の世界。ガイドの車で50kmほど離れたラサ市街に移動。ガイドのタシさんは40台の前半くらいで英語が話せるが日本語はしゃべれない。運転手のキャサンは陽気な若者。今日から10日ほどこの2人と行動をともにする。
(ラサ空港にて。周りの山々は、緑ではなく褐色!)
高速道路を1時間ほど走ってラサ市街に入り、ラサのシンボルであるポタラ宮の下を通ってホテルに到着。一緒に行った山岳協会長Kさんによると、20年前に来た時と比べて道や建物がきれいになり、ポタラ宮の前にあった古い町並みは無くなっているという。
(ポタラ宮。周辺の建築物とともに世界遺産に登録されている)
(ヤルツァンポー大河を渡る清(青)蔵鉄道)
ラサの標高は3,650m。富士山の頂上に近く高度障害が出ても不思議ではないが、日本で富士山に1度、乗鞍岳(3,026m)に2度登って来ていたせいか日中は頭痛も息苦しさもなかった。しかしその夜は寝ていて頭が痛く何度も目が覚めた。
次の朝起きてSPO2(酸素飽和度)を測ると80SPO2は血液の中で酸素を運ぶ役目のヘモグロビンの何%が酸素と結合しているかを表す数値で、平地では100に近い値を示すが標高の高い場所では下がる。同じ高度に滞在していて順応してくると値が上がるので、この数値をチェックしていると高度に順応しているかどうかわかる。しかし個人差が大きいのでいくつ以下なら高山病という判断はできない。高山病になったかどうかの判定は、【頭痛、食欲不振/吐き気、疲労/脱力感、めまい/ふらつき、睡眠障害】の5項目を評価して行う。5項目のそれぞれを下表のように4段階で数値化し、頭痛があることに加えてほかの症状があり、合計点が3点以上なら急性高山病と判定する。
(高山病の簡易判定表。上記5項目につき自己評価)
SPO2が80だった朝は、軽い頭痛(評価点1)と睡眠障害(評価点2)があったので、合計3点となり、軽い高山病だったといえる。前の夜、寝る前に測ったSPO2も80で頭痛はなかったのだが、寝ている間は呼吸数も心拍数も下がるので、体内の酸素不足が進み症状が現れたということだろう。寝ている間に測ったらもっと低い値を示していたかもしれない。高山病の症状が軽い時は、安静にしているより体を動かした方が楽になる。私の場合も起きて食事をしたらほとんど頭痛を感じなくなった。しかし食事を終えて1Fの食堂から2F の部屋に戻る時は息が弾んでゆっくりでないと登れなかった。
それでもなんとか順応の第一段階はクリアして、この日はチベット登山協会と打合せのあとラサ市内にあるジョカン寺を見に行った。トゥルナン寺とも呼ばれ、漢字では大昭寺と書く。ホテルから歩いて10分ほど。正面のゲートを入ると広場に多くの参拝者と奥には輝く金色の屋根が見える。壁の前で五体投地をしている人たちも多い。この寺は7世紀の中頃、ソンツェン・ガンポ王に唐とネパールから2人の后が嫁いできたことを記念して作られた。
入場料を払って建物の中に入るとバターの灯明に照らされた迷路のような通路の脇にいくつも部屋があって仏像が安置されている。ガイドのタシ君が解説してくれるが仏像の名前はチベット語らしくいまいちピンとこない。屋上に上がるとラサの町並みの向こうに歴代チベット政治・宗教の最高指導者ダライ・ラマの居城だったポタラ宮がそびえているのがみえた。1959年チベット動乱の後ダライ・ラマ14世はインドに亡命しているので今は主のいない城である。
ラサ到着3日目の朝は、ダイアモックスを半錠飲んで寝たせいかすっきりと目が覚めた。ダイアモックスは寝ている間に呼吸数が下がるのを抑制する働きがある。この日は下見のためにラサから270kmほど西の標高4,350m西蔵第二の都市シガツェに移動する。チベット登山協会のツーチン女史が見送りに来てくれて、旅の安全を願う“カタ”という白い布を首にかけてくれた。若手ガイドでエベレスト登頂5回のドジ君も加わって5人がワンボックスカーに乗り込んでホテルを出発。道はヤルツァンポ-河が削った谷の底を、昨年シガツェまで開通した清蔵鉄道と並んで走る。
7時間走ってシガツェ到着。街の中心は、ダライ・ラマに次いで第二位の地位をしめるパンチェン・ラマが住むタシルンポ寺で、ホテルから15分のところにある。
(タシルンポ寺。黄金色の伽藍が輝く)
順応をかねて歩いて出かける。山の麓に金色に輝く3つの大きな伽藍が並び、その間を大小の建物が埋めている。背後の山は中腹から頂上まで経文を書いた旗タルチョーがはためいている。石畳の坂道を登って一番大きな建物に入ると大きな弥勒菩薩像。世界最大らしい。パンチェン・ラマは弥勒菩薩の化身とされている。
ある建物の入り口で五体投地をしている女性がいた。直立して合掌の姿勢から、跪き両手をつく。それから脚の位置はそのままで体を伸ばし水泳の飛び込むような格好で両手を伸ばす。伸ばした両手を平泳ぎのように丸く回して腰の辺りに引きつけて立ち上がる。この女性は同じ場所で何度も繰り返していた。
(五体投地をする女性)
3枚の肖像が並んでいた。タシ君にパンチェン・ラマかと聞くと左が9世、真中が10世、右側の僧はもごもごと名前を答えた。輪廻転生を信ずるチベットでは、ダライ・ラマやパンチェン・ラマが亡くなると、どこかに生まれ変わっているということで、国中を探してそれらしい男児を捜しだし地位を継承させてきた。それを中国政府が拉致してしまったと聞いたことがある。どうやら敬虔な仏教徒であるタシ君の煮え切らない返答はそのことが関係しているらしい。
(パンチェンラマ肖像)
この日はシガツェのホテルに泊まった。立派なホテルだが英語は通じない。フロントにWi-Fiと書いてあったので接続したが、写真4枚を送ると15分もかかってしまい奥地に来たことを実感した。(つづく)
この日はシガツェのホテルに泊まった。立派なホテルだが英語は通じない。フロントにWi-Fiと書いてあったので接続したが、写真4枚を送ると15分もかかってしまい奥地に来たことを実感した。(つづく)